2008年2月28日木曜日

心の誕生会

今朝の大朝は快晴。残雪たっぷり有り。昨晩、友人のシンガーソングライターKeikoさんの誕生会があり仕事が終わり、妻と参加した。実は恵子さんの夫Hiroくんの演出したビックリ誕生会である。お分かりだと思うが恵子さんには何も知らせず進められた。恵子さんは16年前慢性のリュウマチが発症して以来、病と闘って今日まで来ている。一時は寝たきり状態であったが何より大好きな歌、天声、又夫HIRO君の支えで今は見違えるように活動している。HIRO君が頑張っている妻の努力にとこの誕生会を企画された。仲間、友人の力もKEIKOの大きな力になっている。午後七時、貸切のお店に入ってきたら80人の仲間が一斉にクラッカーを鳴らし「KEIKOさん誕生日おめでとう」と言う演出になっていた。実に心温まる素晴らしい誕生会だった。大阪とかかなり遠方からもお祝いに駆けつけておられた。
「一会五百生」この言葉は坂村真民先生の言葉であるが、1回の出会いは500回生まれ変わることと同じぐらいの意味がある。と言う事であるが、そうすると恵子さんの誕生日、80人の仲間に祝ってもらえる・・・。天文学的数字での生まれ変わりに等しいということである。世界一の幸せではないだろうか。

2008年2月26日火曜日

大朝だより

朝の大朝は雨、最近天気予報が的中、しかし、今年の冬は寒い。三寒四温的な様子にはなったが春が待ち遠しい。(今日は何の日)226事件は承知だろうが「咸臨丸の日」、1860年、幕府が派遣した使節団が、咸臨丸による太平洋横断航海を終えてサンフランシスコに到着した日。咸臨丸出港の碑が1960年(昭和35年)に日米修好100年を記念して建立されている。
咸臨丸で思い出すのが「イージス艦」の事故、「どちらがどうだ」は海上保安庁に任せて、防衛省の2点3点するあいまいな回答。変に組織たって大臣の辞任の話しまで出ている。一体何を考えているのか分からない。地位も名誉も有るかもしれないが人間としての原点に帰って考えるべきだと思う。

2008年2月21日木曜日

深刻な問題

大朝の今朝の温度-6度、快晴、しかし、寒い冷凍庫の中に入っているような毎日である。しかし、着実に春の訪れは感じられる。昨晩も夜遅くまで深刻な会議が続いた。それは、門徒総代会だ。月谷山 円泉寺385年の歴史の有る寺では有るが10年前坊守さんが他界され、途絶えてしまった。その後は代務住職さんに頼り、年2回の法要をするのがやっとのことで今日まで来ている。しかし、庫裏を改装したり現在は何とか保っている。今回、15年に1回の法要が当番で回ってくる。しかし、大きな大会である、門徒の高齢化とスタッフの人員数確保のめどが付かず。開催できない状態だ。長い歴史の中、まだまだ世の中も荒んでいた時もあったろうが「心、精神の支え」として門徒が支えてきたのは事実である。
寺は有るが中身がない。(住職不在)いくら会議をしても前向きな話しが出ないのはやはり、お寺(建物)ではなく「人に頼り又人に投資」これで今まで継続してきたのだと若輩者ながら感じる。
避けては通れない話である。全国の多くのお寺が同じ境遇で悩んでいるとも聞いているが、何か良いご縁がないかと努力しないといけない。住めば都かもしれないが良い環境である為、必ず誰かお寺に入っていただけると信じ模索を続けたい。

2008年2月18日月曜日

女鹿原若人会

今朝の大朝は気温-3度、又新雪が10センチ降っている。さて、昨日の日曜日、私の住んでいる行政区の若人会を開催した。十数年前に年に2回程度、若い世代で集まり親睦を図る目的で作った会である。はや、若人とは言いがたいぐらい年をとってしまい「若人会」少し気が引ける会の名前になった。
昨日は島根・有福温泉「よしだや」に行き懇親を深めた。大人23人、子供7人の参加であった。新しく所帯を持ったら招待する慣例で我家の長男夫婦ともう一夫婦、2夫婦招待された。今後若人会も世代交代が進んでいく。久しぶりに有福温泉に行った。1350余年の歴史の誇る山峡の石段多きいで湯の里である。透明で泉質は弱アルカリ単純泉、43度前後で少しぬるめの感じであるが「天下一品の湯」とも言われるだけ有って実に素晴らしい湯だった。体の心から温まり、湯冷めがなくまさに天下一品でありました。「よしだや」は初めてでしたが料理も最高。参加者は大満足。温泉も美酒も浴び、石段を抱えられ降りる人もいた。久々のリフレッシュ、楽しいひと時だった。

2008年2月14日木曜日

世道人心

今朝の大朝は気温-4度、新雪5センチ(パウダースノー)スキーでこの新雪をすべるのは気持ちがいいだろうなと思う。中国・台湾も今週から正月休みが終わり稼働を始めた。新年の挨拶メールが届いてくる。さて、先日京都の知人から案内が届いた。「こころ」の会の開催案内だ。経営者仲間での勉強会である。なぜ「こころ」なのか?内外情勢が大変厳しく先行きが不透明で、混迷の時代、激変の時代とも言われ、人間として大切な見識や道徳観、倫理観が喪失し世相の乱れを強く感じる中、あらゆる分野で、人間として本来有るべき姿、有るべき心を必要性を感じる中、京都・奈良・滋賀には由緒有る仏閣が多くあり永年の修行を積まれた名僧がたくさんおられるその法話を聞き、学び経営に又私生活に生かしていくというものである。誰もが知っている大手企業の社長、役員、我々のような中小企業の経営者、全国から集まってこられる。今回は比叡山延暦寺長臈小林隆彰師の法話が有る。いつも案内をいただくがなかなかタイミングが合わず出席できない。4月14日時間が取れれば参加したい。

2008年2月13日水曜日

大朝だより

今朝の大朝は気温-3度、積雪20センチ、今年に入って始めてまとまった雪が降った。大朝地域も地域により積雪が違う。多いところは30センチぐらい降っているところも有るだろう。1/1に大雪が降り、会社構内に除雪機が入って以来2度目の除雪を行ってもらった。社員はなれたもので定時に稼働を始めた。
さて、今日は何の日、「人日の節句(七草の節句)」旧暦の正月七日。新暦で全ては進んでいますが地域によっては旧暦で行事を行っているところも多いとの事。
雪が降るところと降らないところでは随分の違いが有る。近年の異常気象で大朝も楽な冬を過ごさせてもらっているが、今年はいつもの労費を費やしているように思う。私も積雪が多いときは朝5時過ぎから家の前の除雪、家族が出勤できるようにします。しかし、考えてみるとこのような過酷な冬が有るから春の新鮮さがあり、梅、桜もより美しく感じるのではないかと思う。小学校の頃、12月頃から長靴を履いていたのが3月頃になり、ヅックを履いた時の軽やかさ、今もしっかりと覚えている。
今朝の朝礼で「晴れた日は晴れた日のように、雪の日は雪の日のように行動すること。」と指示しました。自ずと自分中心の動きを好んでいるがこの「雪が降る不自由さが」大きな気づきを与えてくれる。

2008年2月11日月曜日

台湾の友人

今朝の大朝は-1度、快晴。会社構内の雪は無し。先日、春節の休みを利用し、台湾の友人家族が広島に来られた。娘さんがこの4月から広島の大学に留学される為、その準備も兼ねての家族旅行。7日の夜、一緒に歓迎の食事会をした。その友人とは家族付き合いをしているが、家族はもちろん、親戚も日本語がとても上手である。娘さんは韓国語も出来る。今回、会社の仕事の関係で食事会しか対応できなかったことが心残りである。
いつも友人の家族を見て家族愛、親戚を含めたチームワークの素晴らしさを感じる。

大朝寒曳スノーフェスティバル

今日は「建国記念日」祝日、3連休の最後の日である。会社は部分稼働している。地域に有る「寒曳山」大朝地域の唯一のスキー場である。大朝と言えば「冬は雪が多い」であったが近年、異常気象が続きその定説が通らなくなった。この大会は第40回寒曳山滑降大会と第20回ジュニアスキー大会をするが昨年は雪がなく中止、今年も心配したが実施できる。しかし、スキー場の都合で夜の大会になる。昨日も日中はスキー客が多く、レンタルも足りない位の状態である。会社経営も一緒であるがスキー場経営は更に自然現象も関係してくる。当然営業日が限定してくるので日中はお客様を優先することは当たり前のことである。今日は6時30分から競技開始である。体育協会が主催であるので私も午後からスキー場に行きたいと思う。

2008年2月7日木曜日

オリンピックメモリアルデー

今朝の大朝は気温-2度、小雪、会社構内は新雪5センチ。午後は融けると思います。それにしても寒いです。同じ地域でも私の住んでいるところは積雪30センチ位あります。今回の寒波は山陰側が多いようです。さて、今日は中国は春節(旧正月)です。台湾の友人も家族で広島に旅行に来ています。さて、今日は平成10年の長野冬季オリンピック開会式があった日だそうで首記のようなメモリアルデーだそうです。私は娘を連れてパラリンピックに行きましたが全てに感動したことを思い出します。
「今日は何の日」なかなか面白そうなので毎回追加して行こうと思います。
日本に来られる外国人が多いと聞いていますが台湾・中国の私の友人家族も北海道、東京、広島と現在来ておられます。交流することは素晴らしいことだと思います。

2008年2月5日火曜日

綜合教育讀本

今朝の大朝は気温-1度、積雪10センチ、(ベチャベチャ雪)今は晴れている。このところ毎日冬型の天候で寒い日が続いている。水分を含んだ重い雪が降り続く。明日が旧正月、「ギョウザ事件」も謎が深そうであるが大量生産国中国はほとんどが休みに入る。先週末、台湾のミッションを随行され、お世話になっている方が広島にこられた。台北で経営コンサルタントをされておられる。その方から「綜合教育讀本」をいただいた。この本は自らの誇りとしている母校の清水公学校のことをかつて故郷台湾をこよなく愛している台湾から引き上げた湾生、あるいは台湾育ちの皆様に紹介したいという思いで「復刻版」として作られたものだ。
蔡さんという方であるがこの本について少し説明します。昭和十年八月、台中州大甲郡清水街、清水公学校で、正式の学習以外の課外学習のため「綜合教育讀本」が発行された。この本の発行の趣旨は、当時、清水公学校の校長、川村秀徳先生が、当時、日本国内のあらゆる学校にもなかった、学校校内有線放送設備が公学校新校舎落成と同時に設置され、そのために数百枚購入したレコードの内容を活字にしてまとめたのがこの本である。各教室にスピーカーが備え付けられ、学習は全校同時に放送されたり、学年別の学習に使われたり、その他全校児童が工程で体操、マスゲーム、行進訓練などにも使われていた。高学年は時間を決め台湾放送局、東京放送局からのニュースもノートする勉強にも使われていた。と記載されている。モダンな校舎、各教室に神棚があったなど等事細かに記載されている。
今、わが町でも義務教育振興プラン策定中で私も委員としてその会議に出させていただいているが、この本を見て何分戦前の話で詳細は分からないにしても「教育」に対する熱い気配りと惜しまぬ投資、実践が伝わってくる。この本が私の手中に縁があり来たのも何か意味が有るのかと考えている最中だ。