2009年3月30日月曜日

大朝さくら便り

今日の大朝は快晴。しかし、空気は冷たい。弊社26期の期末、また、月末と言うのに本日は生産部門は一時帰休を入れている。既にこの状態が5か月になる。在庫一掃で底入りの情報も流れてはいるが、実態経済の動きは変化なし。しかし、自然界は確実に変化し始め、会社の前の桜も気温が上がるとたちまち開花しそうになってきた。「桜が見たいと」楽しみにしていたインドネシアの研修生3人が昨日、帰国した。実際は見れなかったがブログで見てもらおうと考えている。先日、送別会で辛い食べ物が食べたいと言うので「肉抜きの坦々麺(激辛)」を注文したら、おいしい美味しいと食べた。どんな味か興味がわき、ちょっと一口と、麺を口に入れようとしたとたん、激臭がして喉、鼻を刺激した。麺を口に入れるや否や吐き出してしまった。近年味わったことのない辛さ、その後は水しか喉を通らなかった。慣習の違いを痛切に感じた出来事であった。昨日は社員の結婚式だった、最近暗い話ばかりなので「慶びの宴」は確実にストレス解消になった。どんな社会情勢であろうが、新たな人生のスタートを切る二人は新鮮で多くの希望を持っている。気持ちの持ち方はとても重要だと思った。同じ町内でも20年ぶり、30年ぶりと懐かしい方々との再会もあり、充実したひと時を過ごす事が出来た。「不況」と言う言葉、現実だけが停滞し、後は「時も自然」も確実に進んでいる。気持ちを入れかえ、無駄な時間だけは過ごさないようにしたいものである。

2009年3月25日水曜日

感謝

今朝の大朝は雨、出勤時はみぞれが降っていた。三寒四温で確実に春になっている。WBC侍日本、素晴らしい感動を全世界に発信してくれた。立派だ。それぞれの国の選手が愛国心を持ち、本気でプレーする姿は見ている誰をもが感動したのではないだろうか。また、国を代表する一流選手、発する言葉も一言も驕りはない、「感謝」の言葉が連なる。また、私が記憶に残ったのは大活躍した青木選手が頂点に立った喜びの中「見てくれていた子供達が野球に関心を少しでも持ってくれたのでは・・」と言ったことだ。
どの選手も「心・技・体」素晴らしい。最近、身の回りで「感謝」と言う言葉をよく耳にする。考えすぎかも知れないが、大不況になり、現実の厳しさを実感し、窮地に立たされると誰でもが思う,(分かってくる)事なのではないだろうか。侍日本の選手たちも大不況の窮地とは真反対であるが技を極め、国を背負った窮地は一緒であろう。しかし、「感謝」大切な事である。
先日、中国新聞に小さく私の顔写真と記事が載った。実に大きな反響であった。30年ぶり、20年ぶりとメールや電話で懐かしい思いを沢山頂いた。「覚えていますか?旧姓○○です。」と言った言葉から始まる。嬉しいことである。その当時にタイムスリップし、忘れかけたものも記憶がよみがえってきた。
この大不況も原因は別にして、われわれ人間に「大切なもの」を再認識させていただいている感じがする。悩んでいるばかりではなく、感謝しなくてはいけない。

2009年3月23日月曜日

学位記授与式

今朝の大朝は晴れ、昨日よりは少し肌寒い。さて、昨日は娘の卒業式で有った。大学4年間、まさに青春を謳歌したのではないかと思う。中学からバレーボールを始め、高校、中学、大学と続けた。「継続は力なり」きっと大きなものを掴んでくれたと思う。私達の時代の事を基準にして、大学の卒業式に親が行くのは少し抵抗が有ったが、行ってみると多くの保証人の方が参列されていた。在学生送辞、卒業生答辞実に自覚と時代背景も直視し、感謝も忘れず素晴らしいものであった。(感動)最後は合唱団が「仰げば尊し」を歌われた。自ら、忘れ去ったものが蘇ったような気がした。そして若者達の立派な姿を見ると確実に新しい時代に必要な「力」であると頼もしく思えた。娘はゼミの恩師にも恵まれ、色々なチャンスを与えていただいた。アメリカへの短期留学もその一つである。親バカかもしれないが「先生お世話になりました。」親として言えた事は昨日参加して一番意義が有ったことだと思った。考えてみれば、多くの恩師や多くの人々にお世話になっている。丁度、何かを意味するかのように昨日の中国新聞へ母校の「大朝中学校」が紹介された。バレーとの出会いが有った中学、そして保健体育、養護教員の実習もさせていただいた。「地域からの一言」の欄に私もコメントを出させていただいた。昨日は30年以上たつ、大学時代の友人からも「新聞見た。懐かしくなって」と連絡が有った。また、娘の高校時代の保護者からも「元気、新聞見た」と各方面から連絡を頂いた。現実の厳しさに浸透しきり、子供の晴れ舞台の「卒業式」もあまり意識していなかったが、いや、考える余裕がなかったが、参加してみて初めて「我に帰った」気がした。子供のみならず、多くの方々に力を頂きながら生きている事の「感謝」を再認識した日であった。

2009年3月18日水曜日

卒業シーズン

今日の大朝は晴れ、気温も20度を超え良い天気だった。卒業シーズン、明日は北広島町の各所で小学校の卒業式だ。さて、会社の前の桜、今年も沢山のつぼみをつけている。昨日、今日と温かかったせいかいっぺんにつぼみが膨らんだ。情報によると、WBCで侍日本は惜敗したとの事。(残念)
最初だけTVで見たが韓国の勢いは半端ではなかったですよね。このレベルになると、技術の差ではなくなっているようだ。
最後まで諦めず「侍日本」頑張れ。この不景気風も勢いで一掃したいものである。

2009年3月17日火曜日

わさまちに「おくりびと」上映

今朝の大朝は晴れ、気温11度、本日は20度近くまで気温が上がるようだ。毎朝出会う、小学生の兄弟、今朝も元気よく登校していた。帽子も毛糸の帽子から黄色のキャップに変わっている。自分自身、小学校の時いつもすれ違う大人の人をよく覚えている。きっと、この子たちも毎朝の通学の事は一生覚えているのだろうなと思う。春になり、自然界のもの全てが「静」から「動」に変わって行くようである。
昨日は花粉症の話をしたら、親切に対応策をご連絡頂いた。ありがとうございました。さて、来月4月29日(祝)15:30より、第81回アカデミー賞外国語映画賞受賞作「おくりびと」を大朝保健センターで上映する。当日は恒例の「わさまち」(大朝恒例の春祭り)の日である。総合型地域クラブ「大朝人くらぶ」(わさんちゅくらぶ)もこの祭りに協力している。今年は映画会で協力することにした。日中は「わさまち」で楽しんで頂き、15時30分からはアカデミー受賞作品「おくりびと」で堪能して頂きたい。限定200名にしているため、お早めにチケットをお求めください。大人/1200円、大朝人会員/1000円、子供600円。
私のところでも結構ですし、大朝公民館・役場大朝支所で販売しております。

2009年3月16日月曜日

誤った引用。

今日の大朝は晴れ。気温も上がり、すっかり春を感じる。しかし、黄砂と花粉はMAXのようで山は霞み、鼻はずるずる状態だ。昨日の日曜日、とてもいい天気だった。夕方、家内と嫁と孫とで買い物に行った。
買い物中は私が孫の守、抱いて店内を回っていると、女性の方が寄ってこられ、「可愛いね。何ヶ月ですか。」と問われた。7ヵ月になります。と答えたら、「可愛いでしょう。」と言って去られた。「あの~。」言葉には出さなかったが、あの人は絶対に私を父親だと思って話しかけておられた。「孫なんですよ。」その言葉が言いたかったがすぐ、「分かってますよ」と言われると又話が複雑になってくる。「まぁいいか。」と思っていた。夜のこと、どうも家内もその光景を見ていたらしく「歳をとったお父さんだ思ったろうね。」と唐突に言った。「孫です。」と返せんかったよ。と談笑になった。日本人でも先程のような言葉以外で「発音、雰囲気」で迷う事が有る。言葉の引用でも記憶に残っていることが有る。随分前の事であるが結婚式の挨拶でそれも主賓挨拶での事。「一姫二太郎」の表現をされた。「女の子と男の子が二人いれば理想の家庭です。」その内容で「一姫二太郎」を使われた。私は何も気にもせず聞いていた。乾杯が終わり、段々縁が盛り上がったとき同席の人が「先程の挨拶の中、言葉の引用が違っていましたね。」と小さな声で言われた。はぁ、気がつきませんでした。何がですかと尋ねると、「一姫二太郎」は第一子は女の方が育てやすく楽なので一姫、次に後継ぎの男がいるので二太郎。と言うのですよ。と教えて下さった。その時は、お酒も入り、「どっちでもええじゃん」と思ったが、「なるほど」と改めて思った。私も間違った意味にとらえていました。主賓で話す機会も多いが「誰も真剣に聞いてはいない。」と思っていたが身の引き締まる思いをした。常日頃、意思確認も曖昧に済ませたり、言葉の引用もいい加減な使い方をしていると改めて感じ、赤面するようなことも随分しているだろうと思う。その後はお話をするときは「わかりやすく、短く」を心がけている。しかし、勉強は必要ですね。

2009年3月12日木曜日

何が違うのか。

今日の大朝は晴れ。春の訪れを日に日に感じる。先日、ある会合で、外国の写真家が撮られた被爆以前の広島の写真をみられた人が「写っている子供の目が今の子供には見られない。何が違うのか。」と言う話題になった。しばらくその話題で話が弾んだ。「生きることを考えていた。」そういう結論に収まった。私は比べた事がないので何ともいえないが、意見を聞いていると「経済背景」が見えてくる事に気がついた。先輩方は悲しい戦争時代も広島は原爆も克服しておられる。100年は草木も生えないとまで言われた時代を生き抜いておられる。私を含めそれ以降は全て飽食の時代に生まれ、生活をしている。先輩が昔と今の違いは「生きることを考えていた。」その意味はとても重く、深い言葉であると思う。私にとって子供の目で記憶にあるのは「インドネシアの子供達の目である。」生きるため、食べるためかダウンタウンでも車が止まればすり寄って来、「物を売ったり、お金をねだる。」その行為の是非ではなく、子供特有の澄んだ瞳は全世界共通であろうが「目力」は今までの人生で見たことがなかった。その記憶が脳裏を走った。「必至・真剣・生きる・食べる」全ての言葉が一つになると違いとなり、目に表れて来るのではないだろうか。
私達にとって今は苦しい時代であるが、先輩方はまだまだ修羅場を克服しておられる。小さな写真展の話からではあるが、「大切なもの、生きる勇気」を頂いた感じがした。

2009年3月9日月曜日

山田屋のうどん

昨日、錦帯橋ロードレースが終わり、帰っていると岩国インターの近くで「手打ちうどん山田屋」の看板が目に入った。麺好きには好奇心がわき行ってみることにした。看板に従い、行くこと5分、「丁寧な駐車場の看板」。車を止めると、登り窯が有る?階段を上りうどん屋に入ると6席、満席である。「奥さんがこちらにおいで下さい。」と案内されて入ると陶芸のギャラリーになっていた。どうも、陶芸家がうどんやを始められたのだな。と直感が走った。・・・実際そのとおりであった。山田うどんは1日限定40食。営業時間は午前11時半から午後2時まで、売り切れ次第終了。岩国焼「吉香窯」窯主山田象陶さんが66歳からの新たな挑戦で始められ、芸術家の感性でこだわり抜いた手打ち麺である。自らが作られた、器を使われ、もったいなく、また優越感にしたり味わう体験も魅力の一つであった。また、味もとても美味しく、店主の気持ちがこもった味になっていた。私たちは「ぶっかけうどん定食」1000円、を頂いたが満足感を感じ、店を後にした。岩国の方へ行かれたら是非立ち寄って、素晴らしい陶芸と心こもった手打ち麺の味を堪能してみてはいかがでしょうか。
山田うどん  岩国市阿品 電話0827-43-1665

錦帯橋ロードレース

(ゴール前、へとへとで走っている様子。)
今朝の大朝は曇り、昨晩は夜遅くまで、町長、町議会の選挙の速報が流れていた。当選された方々、誠におめでとうございます。さて、昨日は第3回錦帯橋ロードレースに参加してきた。昨年から、参加しているが今年は大幅に参加者が増えており、2600人近く参加されており、岩国市の大きなスポーツイベントになってきた。好天に恵まれ、最高のマラソン日和になった。走っていると、木陰の方が走りやすい程気温も上がった。しかし、花粉も「たっぷり」走り終わってから、鼻水が止まらずまだ後遺症が続いている。昨年この大会は後半、大変苦しい経験をしているので今年こそはと色々とペース配分を考慮したつもりであるが、やはり今年も同じ事になった。昨年タイムより、30秒短縮はしていたがやはり日頃の練習不足が原因だろう。地元の方がむすびやお汁を賄って下さり、おいしく頂いた。いつも、反対の立場にいるので良く分からなかったが「心がこもり嬉しい」ものである。その他、この大会はスタッフがとても多く、また運営がとてもスムーズに行くことが素晴らしいと思う。ありがとうございました。
ただ、一点のみ、男子トイレが不足しており、いつも長蛇の列になっていた。

2009年3月6日金曜日

辛い別れ

今朝の大朝は雨。会社は本日も一時帰休、今週は2日しか稼働してない。期末でこんな状態。何とも言い難い。朝一番のメールで嬉しい知らせが来た。この数か月、弊社で生産させていただいた某社3D携帯向けの液晶パネルが生産終了し、メーカーの方が東京本社へ来られ「まさに奇跡の立ち上げ」と感謝の意を告げられたと言う内容のメールが配信された。最近、良い話題がない中、一瞬ではあるが光が差した思いがした。何より、生産に携わった社員の努力の賜である。さて、インドネシアの研修生も10年間で延べ100人位になる。10年たっても連絡を取り合っている人もいれば、帰国したまま連絡なし、と色々いる。昨晩も7人とのお別れ会をささやかではあるが我が家で行った。何分このような景況の中で今までの研修生とは違い、初期目的、志も達成できずの帰国である。経営者としては心が痛むところである。しかし、彼らは努力をしているのだと思うが、いやな顔一つするのではなく毅然にふるまってくれる。本当に素晴らしいと感心するのみである。先進国を誇示する我が国は「物の扱いも心の扱い」もぐちゃぐちゃになり、お金、資本のみが最優先になっているが、研修生の彼らを見ていると「本当に大切なものは何か」
考えさせられる。7人の澄んだ目がまだ脳裏に残っている。私にとっては彼らの目的を達成させてやれなかったと言う、とても辛い別れになった。

2009年3月3日火曜日

大朝だより

今朝の大朝は雪化粧している。気温0度、小雪。我家の築山の木々も、春の訪れに伴い、若葉やつぼみも用意万端で有ったが、また雪になった。しかし、すでに春雪、寒中とは違う。さて、本日は北広島町町長・町議会選挙の告示日である。8日が投票日。5日間はにぎやかに選挙戦が繰り広げられる。心ある候補者のご健闘をお祈りいたします。本来ならお手伝いしなくてはいけないのであるが、会社をはじめ色々な事が重なっており、辞退させていただいている。また、卒業式シーズン、本日は新庄中学・高等学校の卒業式でもある。3年間学んだ学び舎を巣立って行く、有能な若人たちの心情は限りなく清く、壮大なものであろう。・・・・思いつつ、現実に返ってみると余りにもバックグランドが悪い。まず、政局の安定を。誰が一体どうしたいのか。ここが安定しない限り、経済も全て一人歩きはできない。
誰に向けて言えばいいのか虚しさを感じる。
やはり一人の人間にできる事は「この秋は雨か嵐か知らぬねど、今日のつとめは、田草刈るなり。」二宮尊徳の言葉通り、日々の小さな積み重ねしかできない。今日もスタートだ。