2010年12月31日金曜日

有難うございました。

今日の大朝は雪、大雪である。積雪50センチ、近年珍しい寒い越年となる。今年もあと数時間、世の中は大きく変貌中で今年も大きな変化を起こした年であった。この閉塞感はいつまで続くのであろうか。しかし、悲観的な話ばかりではなく、文化、スポーツ、科学と明るい話も沢山あった。勢いだけで「一番でなくてはいけないのですか。」と仕分け作業で幼稚な発言をした国会議員の先生もいたが。「はやぶさ」の軌跡も日本を誇れる明るい話題ではなかったかと思う。随所でまだまだ素晴らしい事も沢山あった一年だ。弊社も青天霹靂で時代対応を余儀なくされ、今年一年「糸の切れた凧」の状態で迷走したように思う。しかし、弊社は社員あっての会社である。「苦楽はともにする」これが原点である。小さな事を確実に遂行してもらい、新たな対応の準備が確実にできていることは事実である。その中でも、自社プランド「EGRETTA」(エグレッタ)の誕生は大きな目標ができた明るい話題の一つである。考え方をどうもつかで希望がどんどん増してくる。「叶うまで、諦めないから、夢がかなう」良い言葉である。オリンピック代表選手の一人が言われた言葉である。経営の神様松下幸之助氏も同じことの意味を言われている。明日からは2011年、語呂も良く、1からのスタートである。弊社の協力関係にある台湾も来年は民国100年、実に新たな時代のスタートにふさわしい気がしてならない。今年一年多くの方々との新たな素晴らしい出会があった、また、長年お付き合いしていただいている方々のご支援、本当にありがとうございました。
このプログ、一人のなんでもないつぶやきを「楽しみにしているよ」と各方面で言ってくださいました。驚いたのは台湾の関係者も随分見て頂いていたということでした。目先を追うばかりで、更新が今年はほとんどできませんでした。来年もどうかわかりませんが少しでも近況の雑報を掲載させていただきます。
来年も大きな大きな目標を持っています。「叶うまで、諦めないから、夢がかなう」をしっかり刻みこみ頑張りたいと思います。皆様方よいお年をお迎えください。本当にありがとうございました。 多謝。

追記
中国:王さん、グリーティングカードありがとう。来年こそは再会しましょう。
台湾:頼さん、今年もありがとうございました。
Hsiaoさん、今年も色々有難う。年始にお見積もり待っています。
張社長、無理ばかり言いすみません。必ず成功させましょう。よろしくお願いします。
林さん、いつもありがとう。来年もよろしくお願いします。
Ted社長、夢を形にしたいですね。
葉さん、色々とお世話になりました。来年もよろしく。

インドネシア:オオアサグループの皆さん元気ですか。頑張りましょうね。

2010年12月30日木曜日

一円融合

今日の大朝は雪、年末にかけて降り続くと言うことである。後2日で今年も終了する。世の中全体が大変化の中、迷走し続けた一年であったように思う。しかしながら、身の回りを見ても「この変化」にあまり気にしていない。いや、関係ない人も沢山いることは確かである。こんなものだろう。いやこれではいけない。相反する人々が同じ生活スタイルをしているのであるから、迷走するのも無理はない話である。昨日、友人の陶芸作家、江田島窯の沖山さんから来年の干支、卯の置物を恵贈頂いた。心のこもった作品にとても感動した。私は芸術家の方とは多くの仲間がいるが、作品で自らの主張、発信ができるので素晴らしいと常々思っている。石彫家にしても沖山さんのような陶芸家にしても画家にしても心の表現が作品に表れる。江田島窯の沖山さんとも長いお付き合いである。一つ一つの作品に愛情をこめて作りこまれている事がよくわかる。その情熱にひかれている。沖山さん「招福」の卯の置物大切な飾らせていただきます。有難うございました。「一円融合」この言葉は二宮金次郎の言葉で精神である。理解者もいれば、反対組織もある。どうしても反対意見には非難したくなるものであるが、しかし自らの思い上がりからくるものであると、いかなる反対者に対しても憎まず、恨まず、許し包容し、一切自己責任とする高い悟りの境地。それを一円融合という言葉で表しております。国の中枢の方々に是非もっていただきたい精神です。しかし、このような精神は現実、我が勝ちいっぺんには難しいが必要なことであると思う。
私は我流であるが常々「原因自分論」という言葉で小さな実践をしているつもりである。社員はよく聞く言葉である。

江田島窯 沖山 努さん
電話 0823-42-4309
江田島の工房にも沢山の作品が有ります。是非、寄ってあげてください。

2010年12月27日月曜日

半斤9両?

今日の大朝は雪、先週後半から寒波が到来していたが、昨日から積もりだした。地域によって積雪は違うが、50cm位降っているような気がする。しかし、除雪体制が整っているため、大きな支障なしに社員は出勤してきている。先週末は急遽、台中へ出張した。と言うのも、日本は年末であるが、海外は違う。と言うことは、私たちは正月休みで休んでいても海外は動いているということである。反対に中国・台湾は2/2旧正月に入ると完全に動きが止まってしまう。その事を考慮して、生産計画を逆算するとこの時期しかないということで年末出張になった。冬と言っても亜熱帯の台湾は24度あり、汗ばむようであった。
台北、台中と数社工場を訪問したが、IT化は勿論、工場の5Sも徹底しており、フル操業状態である。ひと昔前の日本の姿そのものである。世の中の変化を改めて痛感した。「今後日本は何で稼ぎ、雇用の場を設けて行くのか。」重くのしかかってくる課題である。今回は急遽の訪台で有ったが、友人も時間をとってくれ、いつもの「半斤九両」で食事をした。観光客が行く店でなく地元客ばかりの店であるがあえてリクエストをして訪問した。面白い名前であるが、1斤=16両、半斤=8両であるが、この店は9両、すなわちサービスしますという意味である。何時も活気があり、地力を頂いた気がした。
しかし、この温度差は実に体にこたえる。

2010年12月15日水曜日

天地自然の法則

今日の大朝は曇り、冬型の天気になっている。予報では雪と出ている。師走も折り返しを迎える時期になっている。世の中も益々迷走を極めている。仕方ない事であるが迷走の政局も実に刹那的な判断でセパレートな制度を決めているが、私が言うことでもないが今後の危機感が募るばかりである。同時に時は確実に刻んでいくが、国民はそんな中、本末転倒し行き先を見失いつつあるのが現状ではないかと思う。「大げさ」と言われるかもしれないが、多くの方々は理解できると思う。先日、「闘戦経」という本と出会った。「本と出会った」言葉はおかしいが私は人と同じ縁で有ると思っている。今から千年前の平安期の日本最古の兵書である。目を通すにつれ、目は冴えてくるし、鳥肌が立ってきた。難しい本であるし、兵書として、戦法は書いてあるが戦術は列記してない。当たり前に読めば、ちんぷんかんぷんか、昔の時代の話で終わるが、現実の社会や、会社経営にあてはめると全く新鮮そのものである。面白いのは兵法でも「眼はよく見えて便利だが、三つはいらない。指はよく仕事をするが六つはいらない。これと同じ理屈で、戦いに勝つのもほどほどにするのが奥義」とある。正に何事にも当てはまる。そのほか「天地 自然の循環、有り様を基本原則に考えること」等その他「総合力」「人を重視する事」「諦めてはいけない」等など・・。私は知識も経験も浅いが、小さな会社経営で日々社員に語りかけていた内容ばかりである。この「闘戦経」という本との出会いも恐らく一分一秒狂いなしに出会ったことを考えると、宝として生かさなくてはいけないと思い。深夜、突如パソコンの前に立ち、会社の「社心」(従業員の背骨として)10カ条に纏めた。2011年1月1日制定で会社の社心として社員として人間として「幸せな生活を送るため」の指針として生かしていきたいと思う。

追記
写真は安来市の造り酒屋の木組みである。その所々で生活の知恵を活かして工夫してある。

2010年12月10日金曜日

百年に一度のチャンス

今日の大朝は穏やかな朝だ。昨日は初雪が降り寒い日であった。路肩には残雪はあるが道路の積雪はない。昨日は久しぶりに会社にいることができた。お客様との話の中で、混迷の世の中ではあるが考え方次第で「百年に一度のチャンス」と頑張っている人の話を伺った。私も同感である。振り返って見れば、普通では会えない人にも会えているし、行けない会社にも訪問している。このことだけでも大きなチャンスである。先日、山口の300人の町にある造り酒屋「旭酒造」を訪問する機会があった。「獺祭」(だっさい)で有名な酒蔵である。桜井社長に蔵を案内いただき、お話も伺った。正にピンチがチャンスを生んだお話であった。この小さな町の酒蔵が、日本でまた世界で堂々と君臨して、味われている。素晴らしいの一言である。社長の言葉に精神論はない、美味しい酒、買っていただける酒、を技術を積み上げて結果を出したお酒である。「純米で大吟醸しか造りません。」きっぱりと桜井社長の口から発せられた。
何とニューヨークでも獺祭は大フィーバーだとか。業界こそ違うが、経営という面からは共通点がある。
「百年に一度のチャンス」決して、棚から牡丹餅ではなく、日々の努力の積み重ね、課題の解決、その積み重ねあってのチャンスであることがよくわかった気がした。「努力と継続」この言葉の重みを感じた。
先月末、今年も年末ジャンボの売出日に丁度東京へ出張していた。新橋から歩いて東京駅へ行く途中の西銀座のチャンスセンター、一番窓口は2時間半待ちの大行列ができていた。異様な光景の為、思わずパチリ。一髪千鈞を願うことも良いかもしれないが、私は「積小為大」の方を選びたい。いずれにしてもこのチャンスは確実に得たいものである。
一髪千鈞
ひとすじの髪の毛で千鈞の重さのものを引っ張ること。非常に危険なことをするたとえ。